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旅の日記

4.カンボジア プノンペン 〜生かされるという奇跡〜 
 

 
 7月17日 屈指の宗教遺跡‘アンコール’。 それがクメール人(カンボジア人)の象徴と言われるのも、国旗にアンコールワットが掲げられているのを見れば理解できる。 世界中からアンコール遺跡に訪れた人達はクメール帝国の栄華栄耀に思いを馳せる。 一方でカンボジアは内戦、地雷、貧困、発展途上といったイメージが付きまとうのも事実。 戦火にまみれた暗い歴史を背負っている事に間違いはない。 旅人風情が言うにはばかるが、僕はこの国で起きた事実を少しでもいいから知りたかった。 ポルポトの恐怖政治とは? 当時を物語る‘キリング・フィールド’と‘ツールスレーン博物館’へ向かった。 

 ポルポト率いるクメール・ルージュによる大量虐殺。 ポルポトが政権を握ってから、カンボジアの数奇な運命は始まった。 強制労働による飢え、権力闘争による粛清によって、1975年からの4年間で奪われた命は100万人とも200万人とも言われている。 その虐殺の舞台となったのが‘キリング・フィールド’。 到着して1歩足を踏み入れると、異様な光景が飛び込んできた。 大量に積み上げられた頭蓋骨に衣類の山・・・・・。 この場で2万人ともいわれる人達が殺され、埋められたのだ。 まだ掘り起こされていない遺体もたくさん眠っており、大地には人骨や衣服の切れ端がむき出しになって散らばっている。 ・・・・・何という光景だ。 僕はただ、目の前の光景が現実であると言い聞かせる事しか出来なかった。 

 衝撃を受けたまま、‘ツールスレーン博物館’へ向かった。 博物館とは言っても、ここは刑務所兼拷問用施設として使っていた現場だ。 もともと学校だったところを改造したのだという。 ここもまた凄惨な当時の状態が残されていた。 錆びたベッドに足かせ。 拷問に使われた器具に犠牲者の遺品。 教室を改造して作った独房。 そして衝撃的だったのが収容された人達の顔写真だった。 写真の中には女性や子供のもたくさんあり、皆どこにでもいそうな普通の人達ばかりだ。 今から20数年前ここで数多くの罪もない人々が拷問され処刑されていったのだ。 展示されている写真の中には処刑後の生々しい写真もあった。 その写真に写っている床の模様が、今立っている床の模様と同じだった。 ここで・・・・・そう思うと写真を直視する事すら出来なかった。 
  
 ポルポトが政権を握った1976年〜1978年というと、僕が幼稚園から小学校の時だ。 その時の記憶を甦らせる。 幼稚園での楽しいお遊戯や小学校の遠足・・・・・みな楽しい思い出ばかりだ。 その時、今まさに僕が立っているこの地で人々が拷問され殺されていたのだ。 しかも、自国民同士で・・・・・。 常軌を逸した、狂気の沙汰としか思えない出来事。 僕はたまたま日本に生まれ育ち、日本の平和な生活の中で幸せに生きてこられた。 しかし、同じ時期たまたまカンボジアで生まれ育った、この写真の子供たちは訳も分からず殺されていった・・・・・。 生きる、生かされているという事の意味。 それは決して当たり前ではないのだ。 その事をあらためて感謝し、与えられた命を力いっぱい輝かせていこうと思った。 
 通りすがりの旅人に、この人たちの本当の苦しみはわからない。 僕はここで感じることしか出来ない。 しかし、その感じた事を大切に生きていきたいと思う。 
 
 
ちなみにポルポトが死んだのは1998年。 組織が壊滅したのは1999年の事だという。 つい数年前の出来事だ。 現在、復興の一途をたどる街は活気に満ち、エネルギーが溢れ、カンボジアの人達は力強く、そして明るく生きている。 数年後この街はどのように変わっているのだろう? また訪れてみたいと楽しみに思った。

【寿夫 2004.7.25 筆】


キリングフィールドにて。
ここで処刑された人達の頭蓋骨。
遺族の事を思うと言葉もない。 


ツールスレーン博物館。
ここで拷問を受け処刑された中には
約 2,000人の子供も含まれている。



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